祈るような気持ち
虐待のニュースを見るたびに人ごとではないと感じます。
子育ては喜びもありますが、想像以上に体力と気力が必要です。
養育者が仕事をしていようと、専業主婦・主夫であろうと、金銭的な余裕の有る無しに関わらず子育てに向き合えば向き合うほど、大変な労力を要します。
抱っこ紐には赤ちゃん、手にはヨチヨチ歩きの子どもを連れたお母さんをたまにスーパーでみかけます。 髪の毛は乱れ少し疲れたような表情を浮かべているお母さんを目にすると、数年前の自分を重ね、胸がいっぱいになります。
頭が下がる思いです。
「頑張っておられますね。」と声をかけたくなります。
子どものため、家族の為に動けば動くほど自分の事に使える時間はなく、身だしなみにまで気を配る事ができません。
近くに子を預けられる親戚や家族がいないため、市の子育て支援でもある一時預かりを利用するにも予約開始2週間前の8時半に電話をかけ続けてようやく予約がとれるかどうかです。
無事に予約が取れたとしても、保育施設ごとに一度は足を運び、大量の書類に子供の情報を記入しなければいけません。
年に何回かしか利用できない一時預かりのために、毎年大量の用紙に記入するだけでも気が滅入ります。
ようやく手続きが済んだとしても、予約の日に子供の急な発熱でキャンセルすることもあります。
発達障害の特性を持つ長男の子育ては特に大変でした。
産まれて8ヶ月目から夜泣きが始まり5歳まで続きました。
いつになったら、朝までゆっくり寝られるのだろう…と漠然と朝まで熟睡できる日を思い描く日々でした。
周囲に息子の夜泣きや特性について相談してみても、そんなに長い期間夜泣きをしている子を持つ人がなく、特性についても、善意のアドバイスが時には胸に突き刺さることもありました。
毎日の寝不足で疲れがとれず、それでも子供の有り余る元気なエネルギーを受け止めなければいけません。
熱を出したり体調不良で寝込んでいても、おむつ替えや子ども達への食事の準備は待った無しです。
お買い物へ行きたいけれど、気になるものを触らずにはいられない息子を連れてのお買い物は大変でした。
初めての場所や物に対しては特に興奮状態となり、私からの注意も耳には入っていきません。
迷子にならないよう手を繋ないで歩きたくても、気になる物の方へと一目散に走り去ってしまう息子に声を荒げて怒ることもよくありました。
たまに買い物の途中で息子が癇癪を起こすことがあると、少し気持ちを落ち着かせる為に相手にしない時間が必要だったのですが、事情を知らない方の視線や言葉に傷つくこともありました。
「子を叱ったり、叩くことが趣味なわけない。」と子育てに関して義母からアドバイスを受けた友人が私に話してくれた一言です。
本当にそのとおりだな、と妙に納得し心に残りました。
世の中には過酷な環境の下で育てられている子供達が沢山いることは様々なニュースからも容易に想像できます。
その子たちのために何かできることはないかと考えながらも、結局今の私には何もできないことに気づきます。
親に代わってその子達を引き取りお世話をすることも施設でボランティアをしたり寄付をしたりということも、我が子で手一杯の私には到底手を出すことができません。
今はただ、辛い思いをしている子供たちが命まで奪われることのないように、身近な大人たちに気づいてもらい、何とか救われますようにという祈るような気持ちで過ごしています。
育児中の親御さんには、周りから責められるばかりではなく、前向きに子育てに向き合えるよう理解と支援が得られますように、と願うばかりです。
数年前、誰からも理解を得られず、十分な子育て支援を得られずに疲れきっていた私を救ってくれたのは、息子の発達障害の検査を受けるために訪れた、発達支援センターの相談員さんでした。
「お母さん、今まで大変だったね。」、「頑張ってきたね。」と声をかけてもらった時、自然と涙が溢れてきて、そのまま2時間くらい息子についての話を聞いてもらいました。
そこから療育施設での支援につながり、息子と2年間、療育園へ通うことになるのですが、そこでも、同じ悩みを抱えた親御さん達との話や先生との会話から「共感」してもらうことの大切さを学びます。
たとえ共感できなくても、相手に「寄り添う気持ち」が大事なのだと教えていただきました。
自分の経験や価値観から子育てについてあれこれアドバイスをするよりも、「うんうん、そっかそっか。」とお母さんやお父さんの話に耳を傾けるだけでも救われるんだと思います。
虐待を受けている子ども達や、子どもを傷つけようとして手をあげたり声をあげたりしているわけではない親御さんに対して無力なのですが、身近な友人や子供達へ「寄り添う」ことを忘れず、関わった人達が幸せで良い方向に進んでいますように、と最近は祈るような気持ちです。
私の生まれ育った場所はキリスト教の歴史が深い地域なのですが、その近くに如己堂というちょっとした有名な場所があります。
永井隆さんというお医者さまが住んでいた場所なのですが、その方の代名詞とも言える有名な言葉があります。
「己のごとく隣人を愛せよ」
留学期間中にホストファミリーとのちょっとした宗教問題を経験したことで、帰国してから長崎にまつわる歴史小説や宗教に関する書籍を読み漁った時期があり、その時に知った言葉です。
たまには除外したくなるような人たちとの出逢いもありますが、(笑)、なるべく多くの人たちにそのような姿勢で接していきたいと思っているところです。