「祈り」
子育ての経験から、「愛とは待つこと」だと学んだ方の記事を読んだことがあります。
子どものモタモタ、イヤイヤ、ギャーギャーに対応する為には、確かに「忍耐と寛容さ」という「待つ」ことが必要不可欠な気がします。
「愛」については、色々な定義や人によっての捉え方があると思うので正解はないと思いますが、私は、愛とは「祈ること」ではないかと思っています。
「祈り」には「待つ」こと以上に相手に対する見返りがない気がして好きです。
愛する人(子どもや家族、恋人など)が、こちら側の期待や想いに応えられなかったとしても、ただひたすらに、愛する人の健康と幸せを祈ることができる。
それがどんなに辛くて孤独な時であっても耐え忍ぶことができることを「愛」というのではないかと今は理解しています。
20代半ばに「愛とは何か」、一度、突き詰めて考えていた時期があります。
生まれ育った場所が歴史的にも有名で特異な場所だったことと、留学先でちょっとした宗教問題に出会ったことがきっかけでした。
遠藤周作さんの書いた「女の一生2部作」や「沈黙」を読むことから始まり、様々な宗教や戦争、歴史に関する本を読み漁っていました。
キリスト教の色が濃い作家さんの本を読んだ後に、自然と仏教や儒教などの本にも触れていきました。
そんな読書を続けていたある日、憑き物が落ちるかのようにストンと私の中で答えが出ます。
「愛」を「沈黙」や「神」という言葉に置き換えてみたこともありましたが、「祈り」という言葉が1番しっくりときました。
子ども達が18歳になって家を離れる時に、あれこれと手や口を出すのではなく、「祈る」ことができる親でありたいと願います。
理想とは大きくかけ離れ、毎日のように、子ども達には、「はやく!早く! いそいで〜!」と急かすような言葉に加えて「あれは?これは?」と手出し口出しを続ける先生です。
静かで穏やかな印象の愛からは程遠い子育てをしていますが、そんな自分の未熟さにも、日々向き合って行きたいと思います。