my mentor
昨年12月、ずっと連絡できていなかった恩師に、手紙を出していましたが、今日、その返事が返ってきました。(↓目がチカチカしますね。見えづらくて申し訳ないです。)
コロナの影響で、、いつ手紙が届くか分からないと郵便局の方からは言われていましたが、無事にアメリカへ届いたようです。
ここ2年〜3年は、人生の転機がいくつも訪れ、忙しさを理由に恩師からのお手紙にも返事を出せずにいました。
連絡が取れない期間があったとしても、こうやってすぐに昔と変わらない関係に戻れることを幸せに感じています。
彼女と出会わなかったら、最初の半年で留学を切り上げ、日本に帰国していたと思います。
私は彼女を姉のように慕い、彼女は私を妹のように可愛がってくれました。
きっとこれからもこの関係は変わらずに続いていくものだと思っています。
彼女は、留学して間もない私をアルバイトで雇ってくれました。
アルバイト先は中国人夫妻が経営する寿司レストランです。
日本食レストランにしては珍しい、お客さんの9割は現地のアメリカ人でした。
働く人たちは、中国人、ベトナム人、韓国人、フィリピン人、メキシコ人や日系アメリカ人といった多国籍な職場です。
電話で持ち帰りの注文をうけることがメインの仕事でした。
電話では、お互いの表情が見えないため、英語でのコミュニケーションは一段と難しくなります。
慣れるまでに半年かかりました。
その間も英語を聞き取れずに私が困っていると、彼女はすぐに電話を代わって助けてくれました。
ミスがあれば、嫌な顔一つせずに、すぐにフォローしてくれました。
「なぜ私のような子を雇ったのか」とオーナーからは随分と責められていたようです。
彼女はそんなことは一切口にしませんでしたが、私は同僚たちからそれとなく話を聞いていました。
彼女の優しさのおかげで、帰国するまでの2年半、最後まで勤め上げることができました。
レストランで過ごした時間は何ものにも代えがたい充実した日々で、生涯の宝物になっています。
家族のような仲間たちに恵まれ、レストランにいる時間だけは孤独を感じないですみました。
当時の日本人留学生の間では、このレストランで働けること事態、誰もが羨む環境だったのですが、このレストランでの仕事が、アメリカでの2つ目の仕事につながります。
2つ目の仕事についてはまた改めて書こうと思いますが、彼女との出会いからいくつもの出会いやチャンスが生まれ、3年間で経験するには贅沢な留学生活を送れたと思っています。
見返りを求めない彼女の姿勢が、今でも大きな指標となって私の人生を助けてくれています。